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神社の神前で行われる結婚式が、現在のようになるまでには、日本の風土の中で培ってきた神祭りの永い歴史があります。それは大自然の中で生き、自然にまします神々に常に感謝や祈りを捧げてきた人々の営みから生まれたものです。夫婦の和合を乞い願い、夫婦の契りを固める結婚が、神々のお計らいであり、お恵みであるという考え方は、遠い祖先から受け継がれてきた神々への素朴な信仰でもありました。親から子、子から孫へと連綿と続いてゆく「いのち」を大切にしてきたあらわれでもあります。ここには、結婚を神々と祖先に感謝し、子孫の繁栄を願う日、本人のひたむきな生き方を見いだすことができます。
大山阿夫利神社は、今から二千年以上前、人皇第十代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられる式内社です。
古い時代から相模国・関東の総鎮護の霊山として崇敬を集めてきました。海抜千二百メートル以上の山頂から、祭祀に使われたとされる縄文土器も発見されており、当山の歴史の古さの証拠となっています。
霊山である大山は、「あめふり山」とも呼ばれて庶民にも親しまれてきました。常に雲や霧が山上を覆ってよく雨を降らすことから、この「あめふり山」の名称が起こったということです。そのため、古来より雨乞い信仰の中心地としても知られてきました。
奈良時代以降、神仏習合の霊山として繁栄し、延喜式にも記載される国幣の社です。武家政権の時代でも、代々の将軍達が当神社を信仰して来ており、開運の神・武運長久の神として知られております。庶民の間でも広く崇敬を集め、人々は「講」という組織を作って集団で大山に参詣しました。特に江戸期には隆盛を極め、年間数十万人が訪れたと記録に残っております。
これらの多くの参詣者によってさまざまな風習・伝承が生み出されました。例えば、木刀を納める納太刀の風習があります。また、当神社の御祭神は、富士山の御祭神である木花咲耶姫の父君に当たるので「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」という“両詣り”も盛行したようです。ある地域では「大山に登れば、初めて一人前として認められる」という伝承があったともされ、立身出世の神としても名を広めています。
他にも「筒粥神事(一年の天候を占う)」「引目祭(魔と穢れを祓う)」「山開き」「火祭薪能」などのさまざまな神事があります。また、古い伝統を持つ大山固有の「大山能」「巫女舞」「倭舞」という芸能も残っております。
大山阿夫利神社は、古い時代から人々の心のよりどころともなり「国を護る山」「神の山」として崇敬を集めてまいりました。また、山野の幸をつかさどる「水の神」「山の神」として、さらに海洋関連では、羅針盤をつとめる「海洋の守り神」や「大漁の神」として信仰をあつめると共に、山岳信仰の中心としても今日に至っております。春は花、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪と四季折々の自然に彩られるこの大山は、現在でもなお日本の文化と伝統を継承し続けており、参拝をする人々が絶えません。